りんかい日記

"うまくやる"ための試行錯誤

2021年7月12日

付き合っている人がいて、3か月が過ぎた頃なのだけど、話をしていると、時折、チラリを違和感を覚えることがある。

相手とは社会人になってから参加したスポーツのサークルで知り合って、要は、サークル活動以外のバックグラウンドを全く共有していない。生まれ育った街のこと、通った学校のこと、友人のこと、仕事のこと、どこをとっても交差しない。同じサークルに入らなければ、Facebookの知り合いレコメンドには決して浮かび上がってこなかっただろう。

だからというわけではないが、怒るポイント、言葉遣い、考え方など、あれっと思うシーンがある。それも、こういう考え方するんだ、と興味を持つような方向性ではなく、あくまで僕の評価であるが、浅いというか、しょうもないというか、どうでもいいというか、そういう風に感じることが多い。

もちろん、そのことを伝えることはない。けれど、伝えないことは果たして、相手と誠実に向き合っていることになるのか、と考える。違和感を覚えたときの僕のマインドセットが、職場の同僚と相対するような気持ちになってしまうことに、罪悪感を覚える。うまくやることを優先して、うまくやっていることが目的化している気がする。

去年の夏の終わり、友人とシェアハウスを始めた。お互い、文句を言いたいことも山ほどあると思うけど、それでも一緒に暮らしているのは、一緒に暮らす意味がそこにはあるからだと、僕は理解している。そして、誰とでもいっしょに暮らせるわけではない(受忍限度がある)から、一緒に暮らしてもよいと思える相手はとても貴重だ。違和感を持ちながら、折り合いをつけながら、他人と一緒に暮らす。そのことに罪悪感を覚えることはない。なぜなら友人同士のシェアハウスだからだ。他人同士が共同生活していると、そこでははっきり明示されているから。

では、付き合っている相手の場合はどうか。だから僕は、一緒に暮らすことを優先して、違和感を飲み込んでいる。違和感を持ちながら、折り合いをつけながら、パートナーと一緒に暮らす。パートナーと言え、他人だ。シェアハウスと同じだと考えれば、その点は気にしなくてもよい。他人以上のものを見出だそうとするのは、僕が初心だからか。

2021年7月8日

転職のために、いろいろな人から話を聞いている。エージェント4人、フリー案件の紹介屋さん2人、前職の同僚、大学時代の先輩、大学時代の後輩、社会人サークルの仲間と、その同僚2名。エージェントは当たり外れあるけれど、全般的に、みんな忙しいなか時間を割いて相談に乗ってくれる。本当に感謝しかない。

昔から、自分でなにかモノを作りたいという思いが強く、だから初職のレポート書きの仕事は性に合っていた。自分がやりたい、だけの提案はびっくりするほど評価されなくて、相手に寄り添った企画や資料は、すんなり受け入れられていくのは新鮮な驚きだった。クライアントに提供したサービスのなかで、一番評価されたのはオペレーションの推進でもなく、リサーチでもなく、悩みに寄り添った論点整理と方向性の示唆だった。とにかく、相手がこんなこと求めてるだろうな、というのは、話しているとなんとなくわかるから、そこに徹底的に寄り添えば、仕事は大抵なんとかなった。時折、これでいいのかな、という自分の気持ちはむくむくと湧き起こり、相手から離れた提案をすると、大体ボヤが起きた。

当時はクライアントワークを自分のなかでうまく位置付けることができず、もっとわかりやすい"サービス"を作りたいと思うようになり、現職のベンチャー企業に移った。けれど、現場があり、現物がある商売で、一人でできることなんてほとんどなくて、いつでもどこでも、他の部門との調整・連携・協業が不可欠だった。一人でなんでもやろうとして、企画も、社内調整も、アライアンス先の選定も、外注管理も、トラブル対応も、何もかも自分で担おうとした。立ち上げすぐはそれでも良かったけれど、すぐに行き詰まったし、なにより、結局他部門との軋轢を引き起こした。ただ、当時の僕は、他部門と一緒にやるということが、よく分からなかった。 そういうしているうちに自分に割り振られた権限がどんどん縮小して、一介のスタッフとして関与できる範囲が限定されていった。ただただ、課題抽出と改善提案だけをする人になった。最初は、そんな状況に腐りきって、開き直って、自分はここまで、あとはあなた、とバッサリ仕事を整理していった。どうせ傭兵なんだ、契約の範囲で仕事をしますよ、と拗ねていたのだ。なのに、他部門との軋轢も無くなったし、評価される機会も増えた。誰も、僕に出荷現場で発泡箱を洗うことを求めていなかったし、築地で代品調達をしてドコモバイクで運ぶことを求めていなかった。ただ、定例MTGでシナリオを書いてガイドしてあげるだけで良かった。これも新鮮な驚きだった。拗ねる態度は良いとは思わないが、4年間の模索を経て、自分の人格と仕事を分離することができて、分のある範囲で業務をすることの腹落ちがした。

信長の野望というゲームの実況動画を大量に見ている時期があった。プレイヤーは企画だけして、実行はゲーム中の大名にやらせる。プレイヤーはひたすら、彼らに何をさせるかだけを考える。街も、人も、食料も、武器も、等しくリソースとして扱う視点に立ってものを見たことがなかったから、これも強い影響を与えた。そうか、リソースの調達と割り当てと再配置をひたすら行うこともまた、一つの職掌なのだなと知った。

転職しようと思ったのは、僕にリソース運用の仕事は回ってこないと思ったからだった。ものを作るだけなら一人でやれば良い。組織で働くならば、企画と運用の仕事をしたい。組織の中で指示に従って動くならば、傭兵なりの報酬が欲しい。良い雰囲気の会社ではあるが、業務も報酬も手に入らない会社だった。

次は3社目になる。年齢も30歳を軽く超えて、雑に生きていると人生の詰みが予感されるようになった。業務コンサルで5年ほど働いてマネージャーまで昇進すれば、そのあとスタートアップの役付きが狙えるし、チャレンジが失敗してもコンサルに戻れるし、あるいはフリーランスの口もある。リスクを抑えつつ、アップサイドを狙うなら、このあたりが手堅いのではないかと考えた。 大企業のCxOというカスタマーに対してサービスを提供する。とにかく、相手に寄り添い、ニーズに応え、時には驚きを与えつつ、、という専門職サービスを提供すれば良い。もちろん、その過程での困難はもちろんあるだろうが、所詮雇われの身分、自分に降りかかるリスクは限定的だからさほど気負わなくても良いし、生意気言うようだが、大体なんとかなる気がする。2ちゃんねる創設者のひろゆきが「世の中の仕事は高校卒業程度の難度でできるようになっている」と表現していたけれど、そう、世の中の仕事は、普通の人でもなんとかなるようになっているのだ。そうじゃないと世間が回らない。ここでは、自分のやりたいよりも、相手にどんなサービスを提供するか、をとにかく一心に考え、実行することが、うまくやっていくポイントだと、過去の自分が指摘してくる。

そこで提供するサービスが、「自分が世の中に作りたいモノ」とオーバーラップしていれば良いんだけどね。リサーチとレポートと会議事務局とPMOが渾然一体になったシロモノは、果たして自分が世に問いたいサービスなのだろうか。

2021年6月17日

マイナンバーカードが届いたので、確定申告にようやく手をつけた。Chromeの拡張プラグインを2つ入れて、e-Taxソフトをインストールして、アップデートをして、証明書関係のなにやらをインストールして、ICカードリーダライタの動作改善プログラムをインストールして、マイナンバーカードを読み取れるようになるまでに2時間かかる。申告データ自体はMFクラウド確定申告で作成済みで、あとはデータをインポートするだけ...のはずが、最後に決算書を確認してみるとB/Sの数字が無茶苦茶で、原因確認と仕訳の修正で更に2時間ほど投入。加えて、MFクラウドは譲渡所得に対応していないので、結局インポート後にe-Taxソフトを介して数字を打ち込む必要があり、なのにこのソフトの使い勝手がひどく(用紙の枠に直接数字を打ち込むだけで、入力の誘導とかまったくない)、結局ウェブ版の確定申告書作成ツールに事業所得も給与所得も譲渡所得も全部打ち込んで対応することに。なんだかんだ完了したのは16時。一日仕事になってしまった。

18時からは転職エージジェントへの相談を2件。1人目は、この経歴ならITコンサルに提案すればどこか引っかかると思うんですが、そもそも、もう少し転職を我慢しても良いんじゃないですか、とコメントがあり、2人目は、今のあなたではnon-ITですから、、、ITのプロマネ経験を積むのが良いんじゃないですかね、とコメントがあった。昨日相談したエージェントは、この汚いレジュメではピカピカの大手企業は難しいんで、このあたりですかね...とSierの求人票を10枚ほど送りつけてきた。他人のコメントは辛辣で、でも悪意はないと一生懸命噛み締めておく必要がある。

稼ぎと仕事

思ったよりも人事評価がよかった。だからといって給与や賞与に反映されるわけでもないし、昇進するわけでもないし、SOが付与されるわけでもないので、実質的な意味はないのだが、確かに得られた学びがある。それは、他人事だと思って、どちらでもいいと思って、あまり思い入れを持たずに、業務と距離をおいているぐらいのほうが、僕の場合は他者から好感を抱かれやすいということだ。

これまでは割と、会社から与えられた仕事に対して、思い入れを持って、当事者意識を持って、自分ごとと思って取り組んできた。自分の時間を費やしているわけだし、自分で選んだ仕事だし、業務そのものも嫌ではなかったし、だからこそ人とぶつかることもあれば、感情が出ることもあった。でもそれが僕の場合、人と一緒に仕事をする上ではネガティブな評価をもたらした。過剰だったのだと思う。

最初は、企画職でも待遇改善の道があると聞いていたのに、実際は経営陣にそんなつもりはないと知り、仕事への思い入れが一気に冷めたのが今年の2月頃。それ以来、同僚が業務遅延を起こしても、準備が不十分でも、まったく怒らなくなった。そうだよね、仕方ないよね、色々事情があるもんね。遅延を起こす理由なんていくらでも見つけることができて、案件の進捗が遅れても、僕に泥が被らないように言い訳することは簡単だった。どうでもよかったのだ。どうせオンスケで進行しても、案件が途中でポシャっても、僕にはなんにも関係がないから。

時を同じくして、同僚から業務の相談を受けたときも、これまでのように前のめりで引き受けるのは止めにして、いったんボールを投げ返すようになった。大体の人は、生煮えで話を持ち込んでくる。なにをした以下の整理も自分ではできなくて、かといって僕を壁打ちにして自分で整理を進めようという気もなくて、適当に僕に投げ込んでおけば、勝手に整理して勝手にアウトプットを出すことを期待している節があるし、実際、僕もそうした対応をしてきた。でも、相手が本当にやってほしいと思っている仕事以外の仕事を先回りして取り組んでも意味がない(=彼らは評価しない)し、そもそも評価されようがされまいがどうでもよくなってしまった。だから、相変わらず生煮えの話が持ち込まれたら、生煮えの箇所を指摘して、なにがやりたいことか、いったん再考を促すようなコミュニケーションに切り替えた。そうしたら、生煮えの話は相変わらず持ち込まれるが、業務になる案件はほぼなくなった。結局、彼らは自分で整理ができないから、案件を組成しようがないのだ。

同僚がどんな体たらくでも怒らず、生煮えの案件をやんわり押し返すようにしたことで、僕の評価は一気に高まった。この会社の仕事なんて、この程度で良かったのだ。

会社でしか得られないものがあると思っているから、労働契約を締結して会社で働いているわけだけど、会社で自分の求めているものすべてが得られるわけではない。僕の場合、自分のアイデアを自分で形にして、世の中に投げ込みたいという思いがあって、それは、会社に求めるのはリスクが大きいと判断している(会社はそれをいつ叶えてくれるかわからない)。同時に、自分の手を動かすのではなく、資源を運用することについては、会社に属していた方が経験を得られるように感じている。しかも、会社の案件はうまくいこうがそうでなかろうが、自分には関係がない。極端な話、会社が破滅しても僕の人格とは切り離されているわけで、リスクをかなり回避した状態で、資源を運用する経験が得られる。そして、会社の看板がないと覗き込めない世界や案件の大きさがある(例えば、個人ではアラブの油田開発に取り組めないだろう)。加えて、安定した給与の支払いがある。資源運用の経験、社会見学的な関心、安定的な給与の支払い、この3点が、僕が会社で働く際に求めるもので、言い換えれば、それ以外を会社に求めるのは、精神衛生上よろしくなさそうな予感を抱いている。思い入れを持つ部分は、会社ではなく、自分で発露先を見つけ出したほうがよい。

クソどうでもいい仕事

遅まきながら、デイヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を読んでいる。学術書というよりも、なかば社会風刺エッセイのような本ではあるが、なにはさておき面白く読み進めてしまうのは、自分の職業人生と照らし合わせて、オーバーラップする要素が頻出するからに他ならない。

仕事がなく、暇を持て余している自分の現状も、この本を読むと肯定的に捉えられる。今の職場ではなくとも、組織だったホワイトカラーの職場に身を置けば、多かれ少なかれ同じような状況になってしまうことを思えば、ボックス・ティッキングに終日忙殺される年収1,000万円のオフィス出社よりも、週に10時間ほどタスク・マスタリングをするだけで年収500万円を確保できる現状のほうが、遥かにマシであるように感じられる。 (もっともそれは、浮いた時間をセカンドキャリアに投じるというアンビバレントな行動を肯定できるからであって、手持ち無沙汰であることが耐えられない人には、ボックス・ティッキングのほうが精神衛生上は健全であるとも思う。)

この本に従うと、僕の上司は、僕に暇な時間が生じることに耐えられないはずで、それは、彼が僕の時間を買い上げて処分権を有していると自覚しているからだ。僕が暇にしているということは、まるで自分の財産が浪費されているかのように、彼は感じるだろう。しかし、同時に、彼は僕にアサインする仕事を有しているわけではない。おまけに、人に仕事を割り当てると、仕事をでっち上げ、意義を記述し、作業を指示し、進捗を管理し、フィードバックをし、レビューをするタスクが彼に降り掛かってくる。相当に面倒だ。

だから僕は、上司からアサインされたわずかな仕事を、就労時間目いっぱいかけて消化しているように振る舞う。そうすることで、彼は財産を簒奪されるように感覚に陥らなくて済むし、新しい仕事の割当に伴って彼自身に生じるブルシット・ジョブを回避することができる。僕に求められているのは、上司にとって負担感のない存在になることであって、実際に仕事をする/しないはさして問題ではない。

出社

緊急事態宣言が解除されたので、久しぶりに出勤し、オフィスで終日過ごした。担当する仕事がないこと、そして、同僚との接点がないことを嫌というほど感じさせられて、つらい一日だった。

自分がなにをしたいのかが明確ではなく、考え込んでしまうと辛いから、手っ取り早く仕事で一日を埋めてしまいたいのに、それができないから、不安と向き合わざるを得ない。会社の誰からも、仕事を依頼されないという現実が、受け止めるには重すぎる。不安だから、自分から同僚に提案したり、働きかけたりするけれど、相手が動機づいていない業務は、いくらこっちが一生懸命やっても反応が薄くて虚しいものだ。そう思うと、同僚に話しかけた端から気持ちが萎えている自分にも気づく。

早く辞めたほうが良いと、同居人は言う。黄金の手錠が外れるのは最短でも年末、それも片方だけだ。手錠の外れるタイミングに人生は委ねられない。今進めている勉強に目処がついたら、撤退は近い。