りんかい日記

"うまくやる"ための試行錯誤

クソどうでもいい仕事

遅まきながら、デイヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を読んでいる。学術書というよりも、なかば社会風刺エッセイのような本ではあるが、なにはさておき面白く読み進めてしまうのは、自分の職業人生と照らし合わせて、オーバーラップする要素が頻出するからに他ならない。

仕事がなく、暇を持て余している自分の現状も、この本を読むと肯定的に捉えられる。今の職場ではなくとも、組織だったホワイトカラーの職場に身を置けば、多かれ少なかれ同じような状況になってしまうことを思えば、ボックス・ティッキングに終日忙殺される年収1,000万円のオフィス出社よりも、週に10時間ほどタスク・マスタリングをするだけで年収500万円を確保できる現状のほうが、遥かにマシであるように感じられる。 (もっともそれは、浮いた時間をセカンドキャリアに投じるというアンビバレントな行動を肯定できるからであって、手持ち無沙汰であることが耐えられない人には、ボックス・ティッキングのほうが精神衛生上は健全であるとも思う。)

この本に従うと、僕の上司は、僕に暇な時間が生じることに耐えられないはずで、それは、彼が僕の時間を買い上げて処分権を有していると自覚しているからだ。僕が暇にしているということは、まるで自分の財産が浪費されているかのように、彼は感じるだろう。しかし、同時に、彼は僕にアサインする仕事を有しているわけではない。おまけに、人に仕事を割り当てると、仕事をでっち上げ、意義を記述し、作業を指示し、進捗を管理し、フィードバックをし、レビューをするタスクが彼に降り掛かってくる。相当に面倒だ。

だから僕は、上司からアサインされたわずかな仕事を、就労時間目いっぱいかけて消化しているように振る舞う。そうすることで、彼は財産を簒奪されるように感覚に陥らなくて済むし、新しい仕事の割当に伴って彼自身に生じるブルシット・ジョブを回避することができる。僕に求められているのは、上司にとって負担感のない存在になることであって、実際に仕事をする/しないはさして問題ではない。