りんかい日記

"うまくやる"ための試行錯誤

どうしようもない、から出発しよう

今日のお昼ごろ、同性婚を認めないのは憲法違反、というニュースが流れてきた。

www.huffingtonpost.jp

そういえば、集団訴訟の判決がそろそろ出るというニュースをどこかで見聞きしたことを思い出した。その程度にしかフォローしていないニュースだった。

なのに、判決要旨全文を見たとき、一気に引き込まれてしまったのだった。

2 当裁判所が,証拠等に基づき認定した事実の概要は,次のとおりである。

(1) 性的指向とは,人が情緒的,感情的,性的な意味で,人に対して魅力を感じることであり,このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛,同性に対して向くことが同性愛であるが,人の意思によって,選択・ 変更し得るものではない

(中略)

(3)ア 性的指向は,自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ,性別,人種などと同様のものということができ, このような事柄に基づく区別取扱いが合理的根拠を有するか否かの検討は,慎重にされなければならない。

(中略)

しかしながら,平成4年頃までには,同性愛は精神疾患ではないとする知見が確立し,同性婚を否定した科学的,医学的根拠は失われた

ちゃんとこの問題と向き合っている当事者からすれば、あるいは、僕より若い世代にしてみれば、別に新鮮味のある論旨ではないかもしれない。けれど、事実と向き合えず、30歳を過ぎてなお、「自分だけは」異性愛に「逃げ込める」のではないかと淡い期待を抱き、事実と向き合うことを避け続けてきた僕にとっては、この文章すら鮮烈だった。

裁判所は、言ってしまえば法に基づく判断を下す場所でしかない。とはいえ、アナウンスの影響力や、社会におけるオーソリティは絶大だ。そうした立ち位置にある機関が、同性を愛することは個人で変更・選択しうるものではないと事実認定したこと、そして、それを前提にして論理を展開したこと、それが嬉しくて仕方なかったのだ。

異性愛者と同性愛者の違いは,人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく,いかなる性的指向を有する者であっても,享有し得る法的利益に差異はないといわなければならない。

そうであるにもかかわらず,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらも,これを享受する法的手段が提供されていない。また,我が国及び諸外国において,同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請が高まっていることは考慮すべき事情である一方,

同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民が少なからずいることは,同性愛者に対して,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないことを合理的とみるか否かの検討の場面においては,限定的に斟酌すべきものである。

この文章も迫力があると思った。「違いは性的指向の差異でしかない」の「でしかない」という表現が、どれだけ勇気を与えてくれただろうか。そして、同性婚に対する否定的な意見や価値観を有する人がいることにきっちり触れたうえで、好き嫌いと権利は別だよね、これは好き嫌いで判断する事柄じゃないよね、と捌いてくれたのだ。

この裁判は、一義的には、同性婚に対して法的な保護や利益がなされていない現状をめぐっての争いだ。けれどその奥にあるのは、自分はまともなのか、許されるのか、存在していいのか、胸を張っていいのかという存在意義に関わる話であって、だから、どうしようもないものとして身に降りかかってきたものを、これはどうしようもないことなんだと、そこから出発してくれたことが、何よりも意味のあることで、涙が出るほど嬉しいことだったのだ。