りんかい日記

"うまくやる"ための試行錯誤

苦吟していた

今期中に対外発信用のレポートを1本書く、という約束をしていて、ずっと伸ばし伸ばしにしていたのだけど、3月も残り半分となって、流石に尻に火がついた。今日は勉強も家事もさておいて終日Wordと向き合ったのだけど、進捗は全く芳しくなかった。

自分の名前で発信される文章だから、少なくとも、自分は納得できる内容を提示したい。簡潔だけど的確で、力を感じさせる文章を提示したい。そう思うと、書いた端から論旨の粗い点が気になり、裏打ちする資料が乏しい表現が億劫になり、回りくどい説明を加えているうちに、どんどん脱線してしまう。結局、4,000文字ぐらいの紙くずを生み出して、一日を終えた。

何かを作る作業にかかりきりになると、日常生活のルーチンが一気に崩れる。食事も適当になるし、メッセージへの応答も放ったらかしになるし、勉強も放り出すし、他のタスクも全て止まる。割り切って進められる仕事との違いはどこにあるのだろう。仕事も決して雑に進めているわけではないけれど、気合が空回りしているのか。少し力を抜いて取り組んだほうが良いのか。

明日には神様が降りてこないかと期待しつつ、もう少しだけ粘ってみることにする。

春のドライブ

上司に誘われて、物流倉庫の見学に行った。レンタカーを借りて、首都高に乗って1時間弱。運転手は僕で、同乗するのは僕のボスと他部署のマネジャー。

車に乗り込むなり、2人は熱心にメッセンジャーアプリで返信を始めた。管理職になると、直接のメンションではなくても、大量の情報が流れてくるのだろう。羨ましいとは思わないが、2-3日、誰からも連絡が来ない日もある今の僕との差はどこにあるのだろう、とは思う。

東京に来て4年が経とうとしているけれど、首都高は数えるほどしか乗ったことがない。右からも左からも合流があって、分岐が連続して、なのに車両が多くて車線変更しづらくて、急カーブの多い首都高は、本当に緊張する。今日も1回合流をしくじって、分岐の直前で割り込みをさせてもらった。

浜町を過ぎたあたりから運転もだいぶ楽になり、隅田川沿いを順調に北上していく。昨日に続いて今日もいい天気で、空がひらけた川沿いの道はドライブに向いている。快調に車を流すのは気分がいい。暮らしに余裕ができたら車を持ちたいな、とも思う。買える見込みもないけれど、JeepのRenegadeを密かに狙っている。

ボスとマネジャーは相変わらずメッセンジャーアプリと格闘している。僕は運転を満喫している。仕事忙しいですか、と聞くと、まあね、人手が足りなくてね、カツカツの人数で回しているよと、助手席から声がする。

あなたの横で運転をしている直属の部下は、今日は運転しか仕事がないんですよ、と返すのは×。プレイングマネジャーは大変ですね、と返すのは、おそらく○。仕事を頼みたい相手だったら、相手が忙しかろうともダメもとで声かけはしてみるものだ。声がかからない時点で勝負は決しているから、僕はただただ、安全運転に気を付ける。

花粉がひどい

友人が参加するマラソン大会に顔を出した。当日飛び込みで参加できないかと掛け合ったがすげなく断られ、同じく応援にきた別の友人と、多摩川の河川敷で半日ぼんやり過ごした。

朝、地下鉄に乗ったときからかなり花粉が来ていた。くしゃみもしたくて仕方がなかったけれど、コロナが広まってからは外でくしゃみをすることは本当に憚られる。なんとなれば、鼻がぐずついているだけでも気まずい気持ちになってしまう。

それでも、河川敷に着くと一旦症状は治まり、比較的穏やかに過ごすことができたのだ。本番は帰り道で、南武線に揺られているときからだいぶ頭がぼんやりしてきて、帰宅したら体もだるくて倒れ込むように寝てしまった。目が覚めてもだるさは改善せず、しんどい体を引きずって夕飯を作って、一日が終わった。

例年、花粉の飛びはじめと、花粉のピーク時に数日だけ症状が出ているのだが、今年は外出するたびに症状が出ている。完全在宅勤務になって2ヶ月以上が経ち、この間ほとんど外に出ていなかったから、外気への耐性が落ちてしまったのだろうか。

気持ちがジェットコースターのように浮き沈みする

勉強していると前向きな気分になる一方で、こんなことやってていいのかと急に不安になったりもする。この勉強をを積み上げても何も意味がないんじゃないかとか、なにも身につかないんじゃないかとか、最後は無駄になるんじゃないかとか、暗い気持ちが去来する。

なにが身についているのか、なにが前進しているのかはっきりしないから、不安から逃れられない。けれど、勉強はすぐには結果が出ない。学生の頃でさえ、1日2-3時間の勉強時間ならば、最低でも3ヶ月は粘らないと、テストの点数に反映されなかった覚えがある。集中力も記憶力も体力も衰えた社会人になったら尚更だ。ネガティブな気持ちは振り切って、とにかく毎日サボらず、淡々と積み上げていくより他ない。今月のFE、6/13の日商簿記、6/20のTOEICと、直近の試験が終わるまであと100日だ。

成仏させねば

自分の考えていることを表現したい、という思いは拭いようがなくて、いまだに僕は文章を書くことから離れられない。そして、自分で創った創作物を誰かに使ってもらう/見てもらうことを夢想することを止められない。でも、実際に世に問うたものは一つもなくて、それは臆病だったからに他ならない。自分の名前で自分の創作物を世に流通させて、否定的な反応をされることに僕は怯えている。

そうこうしているうちに32歳になった。もうずいぶんな歳だ。恥ずかしくてもカタチにして、世に問うてみる。そうしないと浮かばれない思いが自分のなかにある。それは、それを生業にしたいとか、どうとかいう話とは全く切り離して、早々にケリをつけにいかなければならないことだと思っている。

社会はひとりで戦うには複雑すぎて大きすぎる

あいつに任せておけばうまいことやってくれる、と評価してもらうことがある。これを僕は誇りに思ってきたし、よりうまくやれるように、新しい知見や技術の習得にも取り組んできた。

 

たぶん、悪い心がけではないのと思うだけど、思い違いをしていた部分があったな、とは思う。どの部分かというと、相手は何を評価しているのか、についてだ。

 

あいつに任せておけばうまいことやってくれる、ことが評価されるのは、「うまいことやってる」からであって、「あいつ」が「やってる」からではない。評価者からすれば、物事が前進すればよいので、そのエンジンが「あいつ」なのか、あいつが雇った傭兵なのかは、どちらでもいい(コスト見合いでしかない)。

 

僕は「自分がやる」ことが好きだから、つい、「自分がやり」かつ「成果を出す」道はないかと考えてしまう。けれど、歳を重ね、向き合うテーマが複雑になるにつれて、一人では対応しきれないと感じることが増えた。もたついている間に、随分と周囲から取り残されてしまったと焦りも覚えている。

 

腕のいい技術者として「うまくやる」アプローチも当然存在するが、資源を調達し、運用する野戦将校として「うまくやる」ことも視野に入れないといけない。お好みの戦術が通用しないとき、結果をあきらめるか、お好みの戦術をあきらめるか。現実と格闘したいと思うならば、取るべき選択は明らかなのだろう。

学習性無気力

みんな、どうして職場で怒ったりせえへんねやろか、と話を振ったときに、同居人から出てきた言葉がこれだった。

曰く、なにか嫌なこと/腹立たしいことが身に降りかかってきたとして、その災厄を振り払うために人は抵抗したり訴えたりするんだけど、そうした行動を繰り返しても一向に事態が改善されないとき、人は言っても/行動しても無駄だ、ということを「学び」、災厄は引き続き降りかかっているのに、抵抗する努力を止めてしまう状態を指して、こう言うらしい。鎖につながれたゾウのたとえ話などは知っていたが、こうした用語になっていることは初めて知った。

同居人が続けて話すには、この日本社会で学校生活を送っていれば、どこかで訴えても怒ってもどうしようもない、むしろ余計に事態が悪化するという経験はするだろうし、そういう経験をして、職場で黙ってやり過ごすという振る舞いができるようになるんじゃないか、と。

そう言われると、僕がいままで、ひたすら多方面に怒りつづけていた理由もわかる気がする。怒ったり訴えたりすることで、物事が前進する世界に身を置いていたからだ。あるいは、そうやってでもモノを言うべきだという価値観に、共感しているからだ。

小学校と中学校は、怒ったりしていたけれどそれで教師に褒められることもあったし、なにより成績が良かったから事態の悪化がマスキングされていた。 高校は小規模校で、比較的リベラルで、議論を許容する校風だったからここも乗り越えることができた。 大学と大学院はそうした世界線の集大成にある空間で、協調よりも独自性に重きがおかれ、意志や信念の有無が当人の迫力を生み出していると思っていたし、研究室の諸先輩はいろいろな社会現象に憤慨していたから、言うべきことは言う/言わねばならない、というパワーがあった。 その余勢を駆って就職した会社は、自由を尊ぶ親会社の血を受け継ぐリベラルな職場で、正職員は勢いがあるぐらいのほうがいい、という諸先輩の優しさに救われた空間だった(当時はそのことに気が付かなかった)。

そして今である。人生で初めて、そうしたことが通用しない世界に身を置き、結果、学習性の無気力を呈するようになった。意地の悪い言い方をすれば、教養主義のリベサヨの牙城ばかり渡り歩いて人間が、初めて牙城の外に打って出たら討ち死にした、みたいな捉え方もできるのかもしれない。

いずれにせよ、身を置く組織に対して完全に無気力になっているのは確かだ。こんなに悲しいことはない。