りんかい日記

"うまくやる"ための試行錯誤

同僚を送る

長期休職に入る同僚と酒を飲んだ。まったく知らなかったのだが、雇用保険のサービスメニューに、育児休業給付金というものがあって、出産を機に休業すると、生まれた子供が1歳になるまで、給料の50~67%程度の金額を給付してもらえるらしい。夫婦共働きで、双方とも休業し、お互いの故郷でしばらく過ごすのだという。

男性の育休取得率の低さ、出産に伴うキャリアの中断、パートナーのケア等々、働きながら子供を産み・育てることについては、おそらく数々の言説があるのだろうし、そして僕は、数多の言説に対する感度はさほど高くない。早々に復帰するのも決断だし、目一杯休むのも決断だし、それぞれが抱える事情のなかで取りうる精一杯の判断をしていると思うのだけど、そうした言い訳を長々並べ立てたうえで、僕は同僚の判断をカッコいいと感じた。

カッコよさを感じたのは、その決断を通して垣間見える、仕事との距離のとり方が、僕の志向しているものと近しかったからだろう。会社勤めを手段としての地位に隷属させ続けるのは、思いのほか難しいと思っていて、それは、働いていると多かれ少なかれ楽しい局面はあるから、職場の離脱が勿体ないことのように感じられてしまうからだと、僕は考えている。けれど、人生の意味の給源として会社にどれほどの強度があるかを考えると、距離を置いた付き合いをするほうが良いように思える。常日頃の労働への投入工数を考えると、労働でなくてもよいオプションが存在するならば、迷わずそちらを選ぶぐらいのほうが、バランス感覚に優れているように、僕は感じてしまう。

人と暮らす

高校卒業とともに一人暮らしを始めた。当初は心細かったがすぐに慣れ、一人暮らしの自由さを謳歌するようになった。とはいえ、実家にはしょっちゅう帰っていたし、授業・サークル・バイト・研究室と6年間ほぼなんらかの空間で誰かしらと過ごしていたから、一人暮らしの寂しさを感じることはなかった。

大学院から社会人1年目にかけて、諸事情で同級生が家に転がり込んでいた。2週間ほど僕の家で過ごしては、時折実家に帰るような暮らしが、断続的に2-3年ほど続いただろうか。大学院生の頃は、バイトもサークルも辞めていて、ただただ研究室で過ごす日々だったから(それはとても良い経験だったのだが)、人と接触する時間は少なくなっていた。そうしたタイミングで始まった奇妙な同居は、僕が料理をして彼が洗濯をする分担で成り立っていた。僕は元来、人と飯を食うのが好きで、だから彼と飯を食う時間はいいなと思っていたのだった。

同級生との同居も終わり、仕事が忙しくなり始めたタイミングで、はじめてひとり暮らしらしい(?)ひとり暮らしが始まった。朝起きて、適当に食事をとって、出勤して、深夜に帰って、適当に寝て、また朝起きて、、という暮らしだ。その頃の僕は本当によく働いていたから、帰るのはいつも日付が変わる頃だし、だから時間を持て余すことはなかったのだけど、起伏のない、単調な暮らしだった。

去年の春、コロナの影響で在宅勤務になった。一日中、パソコンに向かって資料を作って、時間を区切る感覚がなくなって、急に労働時間が増えた。話す相手もいないし、外出もほとんどしない。デリバリーのバイトに登録して外出する用事をつくっていたけれど、本当に気が滅入る日々だった。

気が滅入る日々を4-5ヶ月過ごし、おまけに仕事でやらかして色々と疲弊していた僕は、飲み屋で後輩に弱音を吐き、見かねた後輩の誘いで、去年の夏からシェアハウスを始めることになった。かつて僕の家に転がり込んでいた同級生と、声をかけてくれた後輩と、3人でファミリーマンションを借り、今に至る。

人と暮らすと、イラッとすることや、腹の立つことは間違いなくある。共同生活のために咲かなければいけない時間もあり、それがもったいないと感じることもある。些細なことが思い通りにならないこともある。けれど、それを上回る良さを感じている。リビングに他者の雰囲気を感じること。他者と一緒に食事を摂ること、話すこと。他者に食べてもらうことを考えながら料理すること。季節ごとのイベントを暮らしに取り込もうと意識するようにもなったし、街に出たら甘いものを買って帰ろうか、なんて考えるようにもなった。生活リズムも安定した。なにより、ずっと仕事をすることがなくなった。

ひとり暮らしのときにはおざなりにしていたものに、他者と暮らすことで焦点が結ばれるようになる。タイミングも良かったのかもしれない。かつて、自分がどうする・どうしたいということに夢中だった頃が確かにあった。その後、自分のことだけ考えていてもつまらないなと感じるようになり、でも他者へのギブにもったいなさや互酬性を心のどこかで求めてしまっていたりして、それが次第に、もったいなさや衒いが薄れてきた今の年齢となって、人と暮らすようになると、人と暮らすことで得られるよさを、ためらいなく肯定できるようになり、維持していきたいとも思えるようになった。

誰かと一緒に暮らしていけたらいいな、そう考えたとき、パートナーを探す目線は恋愛のそれとは少し違ってくるような気がする。もちろん経済的利害だけの結合ではないが、さりとて互いしか見えない熱情による結合でもない。長く一緒に過ごすことに自分が嬉しいと思えそうか、という視点は、ときに、予想外で唐突な着地点を人にもたらすことがある。

前向きな話題が続く

昨日、基本情報処理技術者の試験(午前)を受けてきて、無事に合格することができた。付け焼き刃の勉強だったけれど、出題範囲の半分はこれまでの職務経験で回答できる内容で、残りの範囲のうち半分は高校数学の復習だったから、なんとか試験までに間に合わせることができた。

そして今日、仕事で提出した企画書が採択されたという通知を受けた。こちらも、提出するという意思決定から締め切りまで1ヶ月弱ほどしかなく、短期間で色々な関係者を巻き込んで仕上げた急ごしらえの企画書だったが、それなりに熱量を込めて書いたことが功を奏したのか、あるいは倍率がとても低かったのか、いずれにせよ久しぶりに白星を挙げることができた(入社以来、この手の公募は3連敗中だったのだ)。

小さな成功だ。だけど、勝ちは自信につながる。自尊心を取り戻させてくれる、と言ってもよいかもしれない。自分の知識が一定水準に達していたこと、自分の考えたストーリーが外部から評価されたこと、それは、自分が世間に何かを問うていく上で、背中を押してくれる心強い材料だ。

勤め先からは役割が与えられない日々はしばらく続く。小さくてもいいから、社外で積み上げを怠らないようにしたい。

自粛明け前夜祭

雨で練習できないから、という理由でチームの仲間と昼から飲みに行った。新宿の雑居ビルの地下にあるその店は、12時から次々とお客さんが入り始め、13時には満席になった。周りを見ると、僕たちのグループと同年代か、それよりも若い印象を受ける。そういえば、市ヶ谷で電車を乗り換えたとき、袴を着た女性や明るいテンションのスーツ姿の男性を何人も見かけた。今日は大学の卒業式なのかもしれない。

一緒に飲んでいた子に話を聞くと、今週は送別会ラッシュで毎日飲みの予定が入っているという。基本は1日2箇所、はしご酒ですよぉと笑っていたけれど、そんなハードなスケジュール、僕には到底こなせそうにない。社会人駆け出しの頃は、そうした姿を冷笑していた記憶があるけれど、今はただ感嘆するばかりだ。それも仕事だと、どこかで捉えるようになったのだと思う。社交ができるということは、すごいことだと思う。

こってり15時まで同じ店で粘って、残ったメンバーとランシューズを冷やかしたり喫茶店で甘いものを食べ直したりして18時。雨だというのに新宿は結構な人出で、喫茶店も満席だった。楽しそうにしている人が多くて、僕も楽しい気分になった。景気が悪いよりは良いほうがいい。ちょっとゆるいぐらいのほうが暮らしやすい。早く、気兼ねなく飲んで、旅行に行けるようにならないかな。

会社は意味を与えてくれるのか

会社は役割を与えてくれるから楽だ、自分の意味を自分で見つけ出さないといけなかった研究者時代のほうが精神的にはキツかった、とtwitterで大学時代の友人が呟いていた。

誰から強いられるわけでもない、自分でテーマを決めて、自分で意味を見出して、自走しないと、何も動かない研究者のキツさは、ほんの少しだけ研究者の扉を覗き込んだことのある僕も強く感じていたものだ。研究室は、進捗がなくても誰も何も言わない。けれど、3ヶ月経ち、半年経つと、何もしなかった人と、自走していた人では、はっきりと積み上げたものに差がついている。だから自走するしかない。けれど、進捗がなくても何も言わない研究室は、同時に、進捗していても何も言わない研究室でもあるのだ。精神的にキツかった、という友人の言は実感を持って理解できる。

では、会社は役割を与えてくれるから楽だ、はどうだろうか。果たして、会社は役割を与えてくれるのだろうか。

若いうちは、役割を与えてくれるかもしれない。あまり仕事ができない社員でも、体力があるから、最後は手を動かす作業を与えればよい。これが年齢を重ねるとどうか。給料は上がり、体力は落ちているから、同じ作業をしていては生産性が下がることになる。より複雑で、体力や時間で勝負するのではなく、かつ、金額的な影響の大きい仕事をさせる必要があるけれど、それは能力的に任せられないかもしれないし、任せられるだけの能力があっても、タイミングの問題で、役割に紐づくポストを渡せないかもしれない。組織から役割を与えてもらえるかどうかは運次第、と言ってしまえば乱暴だけど、それでも、自分ではコントロールできない側面が次第に色濃くなるのではないかと、30代前半の僕は思う。

大抵の人にとって、所属している組織から十分な意味を与えられなくなるときが、かならず来る。かつて僕は、国立大学の研究者として、その道では著名だった先生が、65歳で退官して、近隣の私大に移籍して70歳まで勤め、その後は、所属する組織がなくなり、長年勤めた国立大学の近くの喫茶店で食事をしている姿を見かけたことがある。その姿に哀しさを見出したのは完全に僕の勝手でしかないのだけど、自走する部類に入るはずの研究者でさえ、役割の給源を外部に依存していたことを思い知らされ、社会に生きることの辛さに愕然とした覚えがある。

この日記では何度も書いているように、今の僕は勤め先からこれと言った役割を与えられていない。先日、上司と1 on 1をしたけれど、特に新しい仕事を割り振るような雰囲気も感じられなかった。なにか新しいプロジェクトでも立ち上がれば、アサインもできるんだけどね。やっぱコロナだからね、今期の計画は全体的に投資も抑制ぎみだし、当面は今のメンバーが今の持ち場で仕事をする感じになるかな。なんて。

気持ちはかなりきつい。ただ、よほどうまく歩を進めない限り、いつか、外部は僕に意味を供給しなくなる。55歳の役職定年でやってくるのか、65歳の定年退職でやってくるのか、人手不足に悩まされている企業に勤める32歳の身に降り掛かってるのか、それは時期の問題でしかない。そうであるならば、今すべきことは、役割の供給を組織に要求することよりも、どんな環境でも役割を奪取できる/見いだせる力をつけることではないか、と考えるようにしている。

グッときた文章

ようやく原稿のメドがついたと思ったら、今度はリサーチ演習の課題〆切に追われる羽目になった。

 

某ECを題材にして、彼らはどんなmoatを築いているか、を短いレポートにまとめるのが演習課題だった。界隈では比較的知名度のある事業者だけど、僕はこれまで、きちんとIR資料を読んだことはなかった。いい機会なので直近の決算説明会資料にアクセスしたところ、なんというか、これがとてもよい出来だったのだ。あるいは、僕の好みど真ん中だったと言い換えてもよい。

 

書体はMSゴシック、資料の色遣いはMSのパレットそのまま(しかも使っている色も多い)、少なくとも見た目のカッコいい資料ではない。けれど、投入されているメッセージは端的でクリティカルで、提示されているグラフは事業を語るのに必要にして十分で、見通しやリスクも平易な表現で率直に語られていて、自分の取り組んでいることをよく把握し、消化していないと書けない、切れ味のある資料だった。

 

前職の頃、直接お会いしたこともない先輩が執筆した某省の委託調査の報告書を読んで感嘆したことがある。グッときた理由は今回と同じようなところで、飾り気のない、無骨だけど的確な文章に、僕はどうしようもなく惹かれてしまい、自分が担当した報告書で、構成を真似できないかと何度もチャレンジした。できあがりは毎回イケてなかったけど、あれは先輩の胸を借りたぶつかり稽古みたいなものだったと勝手に思っていて、間違いなく今の僕に影響を与えている。

 

今でも、こうした文章を書きたいと常々思っている。同時に、これは仕事ではない、とも思っている。自分はこう表現して、こう世の中に投げ込みたいという気持ちは、仕事=自分ではない存在にために働くこととは全く一線を画していて、どこまでも、内発的な動機だからだ。

どうしようもない、から出発しよう

今日のお昼ごろ、同性婚を認めないのは憲法違反、というニュースが流れてきた。

www.huffingtonpost.jp

そういえば、集団訴訟の判決がそろそろ出るというニュースをどこかで見聞きしたことを思い出した。その程度にしかフォローしていないニュースだった。

なのに、判決要旨全文を見たとき、一気に引き込まれてしまったのだった。

2 当裁判所が,証拠等に基づき認定した事実の概要は,次のとおりである。

(1) 性的指向とは,人が情緒的,感情的,性的な意味で,人に対して魅力を感じることであり,このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛,同性に対して向くことが同性愛であるが,人の意思によって,選択・ 変更し得るものではない

(中略)

(3)ア 性的指向は,自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ,性別,人種などと同様のものということができ, このような事柄に基づく区別取扱いが合理的根拠を有するか否かの検討は,慎重にされなければならない。

(中略)

しかしながら,平成4年頃までには,同性愛は精神疾患ではないとする知見が確立し,同性婚を否定した科学的,医学的根拠は失われた

ちゃんとこの問題と向き合っている当事者からすれば、あるいは、僕より若い世代にしてみれば、別に新鮮味のある論旨ではないかもしれない。けれど、事実と向き合えず、30歳を過ぎてなお、「自分だけは」異性愛に「逃げ込める」のではないかと淡い期待を抱き、事実と向き合うことを避け続けてきた僕にとっては、この文章すら鮮烈だった。

裁判所は、言ってしまえば法に基づく判断を下す場所でしかない。とはいえ、アナウンスの影響力や、社会におけるオーソリティは絶大だ。そうした立ち位置にある機関が、同性を愛することは個人で変更・選択しうるものではないと事実認定したこと、そして、それを前提にして論理を展開したこと、それが嬉しくて仕方なかったのだ。

異性愛者と同性愛者の違いは,人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく,いかなる性的指向を有する者であっても,享有し得る法的利益に差異はないといわなければならない。

そうであるにもかかわらず,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらも,これを享受する法的手段が提供されていない。また,我が国及び諸外国において,同性愛者と異性愛者との間の区別を解消すべきとする要請が高まっていることは考慮すべき事情である一方,

同性婚に対する否定的意見や価値観を有する国民が少なからずいることは,同性愛者に対して,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないことを合理的とみるか否かの検討の場面においては,限定的に斟酌すべきものである。

この文章も迫力があると思った。「違いは性的指向の差異でしかない」の「でしかない」という表現が、どれだけ勇気を与えてくれただろうか。そして、同性婚に対する否定的な意見や価値観を有する人がいることにきっちり触れたうえで、好き嫌いと権利は別だよね、これは好き嫌いで判断する事柄じゃないよね、と捌いてくれたのだ。

この裁判は、一義的には、同性婚に対して法的な保護や利益がなされていない現状をめぐっての争いだ。けれどその奥にあるのは、自分はまともなのか、許されるのか、存在していいのか、胸を張っていいのかという存在意義に関わる話であって、だから、どうしようもないものとして身に降りかかってきたものを、これはどうしようもないことなんだと、そこから出発してくれたことが、何よりも意味のあることで、涙が出るほど嬉しいことだったのだ。